翠月(5月)になり、そろそろ学園生活が落ち着きを見せ始めた。セレナは主に《ハート》の授業を中心に、《ダイヤ》の授業を受けている。《ハート》の授業は普通なのだが、《ハート》で『傷病治癒』『障害解除』を学ぶ者には『救護室当番』がある。セレナは風の陽日の放課後にそれを担当する。勿論、まだ本格的に解除魔法を使う事はできないので、主に消毒や包帯を巻くといった普通の救護を行う。セレナの指導を担当するハルモニーは解除魔法を使う時にセレナを傍につかせてくれる。症状を見て、どの解除魔法が有効なのかを判断し、それから魔法を振るうのだ。
「軽い混乱を起こしているわ。こういう時に有効なのは『雪の解除魔法』よ。これは精神に働きかけ、冷静さを取り戻させる効果があるの。見ててね」
「真白き空より降る花はやがては消え行く運命(さだめ)なり、降り積もり、行く手を塞ぐとも、全て儚く溶け行くものなり!」
ハルモニーが呪文を唱え、手を相手の目の前でひらひらと泳がせるように動かす。すると、混乱していた相手は徐々に落ち着きを取り戻していった。
「私は魔力がそんなに強くはないから手を使って効果を強めているんだけど、貴方なら呪文だけで使えると思うわ。ただ、力をコントロールする事が重要よ。多すぎてもダメなの。精神に働きかけるという事は慎重さが必要になるから、それを覚えておいて」
「はい!」
セレナにとってこの時間は充実した時間だった。それに、時折ふらりと現れるルーエの持つ『癒しの力』を垣間見する機会もあり、ますます《ハート》に傾倒していった。《ダイヤ》の授業は難しい話が多い上に、どこか皆、冷たい印象を受けるのだ。ミハトやシャカーラ、リズリーなどの知っている子と同じ授業は受けていて楽しいのだが、それ以外は少し居心地が悪いのが正直な気持ちだった。
「セレナ〜、急患ヨロシク♪」
ヒビキが連れてきたのはロッソ=エリオンという青年だ。褐色の肌にオレンジ色の髪、そして緋色の瞳をした美男子である。
「…?どうしたの?」
「脳震盪起こしてさ。ちょっと寝かしてやって?」
「いいけど…どうしてヒビキくんが?」
「だってやったの俺だもん☆」
さらりと白状する。
「さっきの徒手での組手でうっかりやりすぎちゃってさ…」
「…毎回、毎回そう言ってますよね、ヒビキは」
「ユイリィ!」
ヒビキのルームメイトであるユイリィがヒビキを呼びに来る。
「セレヴィ先生が呼んでますよ。――またやったんですか?」
ユイリィは気絶しているロッソを見てため息をついた。
「いい加減、手加減というものを覚えたらどうなんです?達人ほど上手くそれができるものなのでしょう?」
じっとユイリィはヒビキを見た。
「力が有り余ってるんだからしょうがねぇじゃん!」
「自信過剰は足下を掬われますよ」
セレナは呆れつつロッソの額に濡れタオルを置いてやる。
「でも、ヒビキくんだけ呼ばれるなんて何かあるのかな?」
「さぁ?」
「とにかく行けばわかる事でしょう」
ユイリィに言われてそれもそうだと納得したヒビキは救護室を離れる。
「あ、もし帰るの遅くなったら先にメシ食ってて」
「わかりました」
ユイリィはそう言ってヒビキを送り出した。
「…なんか、仲良いよね」
「えっ?」
「ううん…なんでもないの」
(言えない…なんか夫婦みたいな会話だったな、なんて言えないよ〜)
すると、ハルモニーがやって来た。
「セレナちゃん、もう少ししたら交代ですって。この後は『傷病治癒』の連中が来てくれるらしいわ」
「そうなんですか?」
「今日はルーエ様じゃなくてフレージュ様の担当らしいわ。だから、助手も3年生ね」
「そっか…」
ルーエが担当なら助手は4年、フレージュなら3年となる。
「お友達も来た事だし、もう上がっても良いわよ」
「えっ…でも…」
「まだまだ先は長いわ。つめ込みすぎるのも良くないし。今日は《スペード》と《ダイヤ》の授業が多かったから、正直疲れたでしょう?」
ハルモニーがウィンクする。
「じゃあ、お言葉に甘えてお先に失礼します」
「うん。じゃあ、週明けにね」
「はい!」
セレナはユイリィと一緒に救護室を出た。
「せっかくだからお茶して帰ろうか?」
「いいですね。『ロワール』にします?それとも『アンジェラ』?」
「今日は『シャシャ』が良いな」
『シャシャ』はシンジャにもある有名な菓子店の支店だ。購買施設に向かう途中で、白髪の少年と女性に出くわした。
「フレージュ様とアレクサンドくんだ」
◆◇◆
アレクサンドは同じ風組で、セレナの友達であるナターリアの双子の弟だ。
「今から実践を行うわ。アレクサンドくん、今日は逃げちゃダメよ」
「…はい」
「でも、どうして?貴方、素直な気質を持っているのに、他の子と一緒じゃイヤ?」
「…俺、他のヤツとは――」
アレクサンドの能力は『癒しの涙』だ。泣くのを人前で見られるのは男としてのプライドが邪魔をするらしい。
「いいわ。今度から、私と2人だけで実践を行いましょう。それで良い?」
「…はい」
フレージュはにっこりと笑って少しだけ背伸びをすると
「良い子ね」
と、アレクサンドの頭を撫でた。アレクサンドは赤くなる。
「子供扱いするなよ!」
「だって貴方、私より年下だもの」
フレージュはウィンクする。
(…調子が狂う。この女のノリは誰かを彷彿とさせる…)
◆◇◆
フレージュとアレクサンドは共に白髪なので、まるで姉弟のように見える。
「何か仲良さそう」
「…ですね」
風組のHRなどで見かける時は大抵が仏頂面か怒っているカオばかりなので、セレナとユイリィは珍しいものを見たような感覚に陥った。
「気を取り直して、『シャシャ』に行きますか!」
「はい」
『シャシャ』はシンジャ風の内装になっている。掛け軸が飾ってあったり、椅子が畳になっていたり。
「じゃあ、私は『翠月セット』」
「僕は『抹茶のクリームあんみつ』を」
2人はオーダーをする。
「そういえば、知ってる?この前の陽の曜日ね、購買施設の2Fと3Fが貸し切りってなってたでしょ?アレ、実はセイフォンくんの仕業だったの」
「えっ?」
「有り得ないでしょ?」
セレナが笑う。
「貸し切って何してたんでしょうか?」
「それがね…コーネリアのお誕生日祝いだったの」
「ええっ?コーネリアってあの小さい…」
「うん、まぁ、私の同室の子なんだけど。朝から迎えに来られて、私も付いて行ったんだけど、凄かったわよ。服から靴からアクセサリーから一式全部揃えられて、全部のカフェのケーキが用意されてあってね。それはそれは豪華なお祝いだったの」
「へぇ…」
ユイリィはちょっと驚いた。誕生日祝いなんて従者のカガリがしてくれるまで年明けに揃って祝う程度であまり縁がなかった。だから、そんなに盛大にお祝いをするという感覚が不思議だったのだ。
「そういえば、ユイリィは誕生日いつ?」
「翠月(5月)の8日です」
「――今日じゃない!」
「ええ、まぁ…」
「お、お祝いしなきゃ!ええと…どうしよう…何にも用意してないよ〜。え〜っと…とりあえず、お誕生日おめでとう!」
セレナが笑顔でそう言った。
「あ…ありがとうございます…」
ユイリィは赤くなる。
(何だろう…?こんなにも…祝ってもらえるって嬉しいものなのかな?)
それはとても不思議な感覚だ。心の中がじわっと温かくなる。今までに感じた事のない種類の嬉しい感情だった。
「よし!プレゼントはまたちゃんと用意しておくから、今日はとりあえず私が奢るよ!」
「えっ?そんな…別にいいですよ!」
「遠慮しないで。お祝いなんだから、素直にお祝いさせてよ。ねっ?」
「はい…」
単なる寄り道のはずが2人きりの突発誕生日会になって、ユイリィはどこか落ち着かない気分だった。
(隣にヒビキが居ない所為かな…何か、セレナさんの顔が真っ直ぐ見れないのは…)
無意識の『意識』に戸惑う。そんな微妙な変化にセレナは全く気付いていない。
(ヒビキ…何で貴方はここに居ないんですか!)
ユイリィは自分の中の不安定さをヒビキにやつあたりする事で何とか保った。
◆◇◆
その頃――1人呼び出しを受けたヒビキは…
「失礼します!」
セレヴィの研究室に行くと、何故かそこに仮面の男がいた。
「あれ?セレヴィ先生は?」
「ヒビキ=ライデン・ソールくんだね?」
低く重厚な声。
「はい…そうですけど?」
「君を今年の《スペード》Jに任命する事にした。引き受けてくれるか?」
「えっ?俺が…《スペード》の『J』?!」
「いつまでも空位にはしておけない。本日をもって君は『J』――《エンブレム》の一員だ」
ヒビキは余りにも突然の話にびっくりした。
「寮も『楓寮』に移るといい。これから先、君はこのカードを使うように」
渡されたのは銀色のカード。
「ちょっ…待ってください!いきなりそんな事言われても…ようやく慣れてきたトコなのに…俺…」
「君の自由だ。君は『J』にまつわる権利の全てをこの瞬間に手にした。それをどう使うかは君次第だよ」
「はい…」
「では帰って宜しい。次の月の曜日の専攻別ミーティングで君の正式な授与式を執り行う。そのつもりでいなさい」
「はい。失礼しました」
ヒビキは礼をすると部屋を出た。
(俺が《エンブレム》?それは…素直に嬉しい…けど――)
Jには専用の寮、『楓寮』が用意されてある。そこに移るという事はユイリィとの同室を解消しなければならない。そして、1人で生活をする事になるのだ。
(俺は――)
◆◇◆
ヒビキは何となく静寂の森へ足を向けていた。森の中の空気に触れる事で心を晴らしたかった。
(まだ、たったの1ヶ月しか経ってないってのに…)
いっそ、ユイリィも《エンブレム》に選ばれていたらこんな気持ちにはならなかったのにとヒビキは思う。突然、1人だけ誰も居ない海に放り込まれたみたいに心細く感じるのだ。
『鳴月(メイゲツ)…』
『はい、オルハ様』
『お前、ここを出て《中の島》へ行け』
『何故ですか?』
『お前には世界を見る目を持ってもらわねばならぬ。故に、ここを出て外の世界で学ぶが良い』
『――星姫の仰せのままに…』
突然、巫女姫から『セントゥル』行きを申しつけられた時も同じように不安があった。だが、それとは質が違う。あの時感じたのは優秀な兄達に比べて見劣りのする自分自身の劣等感。それに伴う敗北感だ。
(しっかりしなきゃな…)
「よしっ!悩んでてても仕方ねぇ!帰るか!」
◆◇◆
ヒビキが寮に帰る途中、ユイリィとセレナの2人と一緒になった。彼らもちょうど帰る所だった。
「あっ、ヒビキくん」
「よっ!今帰り?」
「ヒビキ…」
何故かユイリィがホッとしたような表情を見せた。
「ヒビキくん、今日ね、ユイリィの誕生日だったの」
「へぇ…そっか、おめでとう!」
「あ…ありが、とう…」
ユイリィは少し照れくさそうに俯いた。
「そういえば、ヒビキくん、一体何の用だったの?セレヴィ先生の呼び出し」
「ああ…俺、《エンブレム》に決まったんだって」
さらりと答えるヒビキ。
「「――えっ?!」」
「《スペード》のJなんだってさ」
「すっご〜い!おめでとう!うわぁ…それもお祝いしなきゃだね!」
セレナはまるで自分の事のように喜ぶ。一方、ユイリィは緊張した表情になった。
「お…おめでとうございます」
「あ…うん、ありがと」
ヒビキもどこか気まずそうな表情だ。
「どうしたの?」
「えっ…何でもないですよ」
「そうそう」
「じゃあ、陽の曜日にお祝いパーティーしよう!私、お料理とか用意するしさ!」
「そんな、大げさな…」
「だってお祝いだし。決まり、ねっ?」
セレナに笑顔で言われてしまうと断れない二人だった。
「場所は2人の部屋ね!」
「あ、うん…」
「じゃあ、陽の曜日にね!」
セレナは手を振りながら女子寮へと帰って行った。
2人はその後、無言のまま部屋に戻った。部屋に戻るとユイリィ宛てに小包が届いていた。
「あれ…?」
ユイリィは差出人の名前を見て微笑んだ。
「カガリからだ…」
開けてみると中には使いきりの写真機『写すんです』と薄緑色の表紙のアルバムだった。
「カガリ…」
同封されていた手紙を読んでいると横からヒビキがそれを覗いた。
「『お友達との想い出をたくさん作って下さい』か…」
「人の手紙を横から見るなんて失礼ですよ!」
「悪ぃ…ちょっと気になったからさ。それより、ユイリィ…」
急にヒビキが真顔になる。
「…何ですか?」
「俺、ここに残って良いか?」
「――えっ?」
「俺がJになっても、ここに居ても良いか?」
ユイリィは大きな目をさらに大きく見開いた。
「だってさ、俺達、まだ始まったばかりだろ?ここで『はい、サヨナラ』なんて言いたくねぇんだよ」
「でも…ヒビキは本当にそれで良いんですか?」
「俺はさ、お前と居るのヤじゃねぇんだよ。いきなり1人だけ《エンブレム》って言われても簡単に切換えられないし、納得いかねぇんだ…」
「それ、遠慮とか…」
「そんなもんがあったらすぐに出ていくだろ?お前、最初俺の事嫌がってたし…」
ユイリィは暫く考えて答えを出したようだ。
「…わかりました。じゃあ、待っていてください」
「えっ?」
「ヒビキがここに留まる事に躊躇する理由は、僕が《エンブレム》に選ばれなかったからでしょう?だったら、僕も《エンブレム》を目指します!追いついて、隣に並べば次の場所に進めるでしょう?」
――それは決意だった。
「でも、そう簡単に…」
「…いかないでしょうけど、努力します。僕だってプライドがある!それに、ヒビキが選ばれたくらいですからね、僕にだって充分チャンスはあるはずです」
最後はついつい照れ隠しの憎まれ口になってしまう。
「…ったく、しょーがねぇな…。待っててやるから、できるだけ早めに頼むぜ相棒」
ヒビキは拳をユイリィに向けて突き出した。
「すぐに追いついて見せますよ」
ユイリィも拳をヒビキに向けて突き出し、拳同士をコツンと合わせた。
15歳の誕生日――それは『特別な日』になった。
初めて、『友』と呼べる存在ができた、記念すべき日――。
初の「微熱革命」シリーズWEB登場です!
本来、このシリーズはオフラインだけのつもりだったんですけど、まぁ重要な話以外はWEBでも書いていこうかと…。
これはユイリィの作成者である桜杜冬音先生の「シンジャ組3人の話」というリクエストに応えた形です。
ヒビキとユイリィが初めてお互いの友情を確認した記念すべき回ですね。
でもってヒビキの《エンブレム》就任決定です!
一番乗りですね。
さて、これからの展開はどうしようかな?ますます友情一直線になりそうな2人ですが、恋愛はできるのか?そして、セレナ様は?
乞うご期待★